かつて、旅先で何気なく鑑賞した庭園で印象に残ったことがあり、それが現在でもよみがえることがある。

園内の小高い場所にあがってふと視線を上げたときに、遠くの山が大きな一枚の絵のように目に飛び込んできたのである。それまでは、単なる広い庭にしか思えなかったものが、そのとたんに、なんとうまくつくられた庭園なのだろうと、非常に感心してしまったのである。それから、庭園の構成について気にかけるようになった。しばらくして、その庭園が廻遊式庭園と呼ばれる様式であることを知ることができた。

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一般に庭園は、造形物や意匠をじっくりと鑑賞する空間芸術の一つととらえられているようである。しかし、廻遊式庭園の場合は「廻遊」という点、すなわち、鑑賞者の移動(行動)を中心にみることが必要なのではないかと思われる。

鑑賞者が移動することにより、対象のとらえ方が刻々と変化していく。そして作庭者としては、その鑑賞者の移動を考慮した庭園をつくっていると考えることができるだろう。そこで従来から考えられている空間芸術としての庭園を、時間芸術という別の視点から庭園の構成をとらえなおすことができるのではないだろうか。しかしながら、時間芸術という視点から庭園の構成を説明している庭園史関係の書物はほとんどみかけないのである。

ところで、廻遊式庭園は、園内の各所に作庭者が「見せ所」をつくり、鑑賞者がそこを順次見て回る形式のものをいうが、その廻遊式庭園の中でも、東京都文京区駒込にある《六義園》は88箇所もの「見せ所」を配置したという。これだけの数の「見せ所」を配置するとなれば、作庭者は庭園構成に相当な注意を払ったものと考えられる。作庭者の意図を探るのに適した庭園といえるだろう。しかも《六義園》は特別名勝として現在も名を残しているという。それでは、この《六義園》の作庭者は、時間芸術としての庭園の構成をどのように工夫したのであろうか。